|
1793年 |
寛政5年 |
菅江真澄「おくのうらうら」「まきのあさつゆ」にイカ釣りの様子を記録する。 |
|
1812年 |
文化9年 |
するめの買入れ再び始まる。(文政4年まで) |
|
1892年 |
明治25年 |
佐渡からイカ釣り教師(安田三蔵、本間太郎八)、漁業指導にあてる。 |
|
1893年 |
明治26年 |
7月4日、佐渡より伊藤庭太郎、高野吾平、高野長三郎、三氏イカ釣り教師来青す。 |
|
1893年 |
明治26年 |
7月5日、イカ釣り教師安田三蔵来青する。 |
|
1895年 |
明治28年 |
青森県庁、イカ釣り教師の指導後の経過の報告書を各群役所に提出させる。 |
|
1896年 |
明治29年 |
大畑の前沖のイカ漁大漁。 |
|
1897年 |
明治30年 |
イカ釣りの漁具「トンボ」佐渡の漁師が考案する。 |
|
1914年 |
大正3年 |
この頃の下北郡のイカ釣り漁法は佐渡式が多いこと、集魚用ランプとして小さな石油ランプをしようしていることを「大正3年度分場事業報告書」で報告する。 |
|
1925年 |
大正14年 |
大畑村の新保嘉一、大畑発動機漁船でイカ釣り漁業を始める。 |
|
1926年 |
大正15年 |
イカ釣り入稼ぎ漁民で下風呂村、大畑村が賑わう。 |
|
1928年 |
昭和3年 |
10月26日、下北郡水産会によるするめ、昆布の品評会が大畑小学校で開催される。 |
|
1932年 |
7年 |
大畑漁業組合、するめの共同販売を実施する。7月、下北の佐井から尻労にかけてイカの豊漁が続く。 |
|
1940年 |
15年 |
12月3日、イカ釣り船5隻、大畑か川口で座礁、7名溺死。 |
|
1943年 |
18年 |
11月14日、正津川の深海丸(24人乗り、13トン)行方不明全員溺死。 |
|
1950年 |
25年 |
中学生のイカ釣り漁業での活躍が目立つ。大畑中学校の記録には、「イカ大漁につき授業1時間で打ちきる。」とある。 |
|
1955年 |
30年 |
11月18日、イカ釣り製との実態録音NHKよりラジオ放送される。 |
|
1962年 |
37年 |
6月5日付けの東奥日報で中学生のイカ釣りは白糠、泊地区に限り許可することを報道する。 |
|
1965年 |
40年 |
この頃からイカの漁獲高が激減しはじめる。 |
|
1966年 |
41年 |
6月9日、青森県労働基準局は中学生のイカ釣り漁業従事を全面的に禁止することを発表。 |
|
1969年 |
44年 |
日本海沿岸へイカ釣りのために出漁するようになる。 |
|
1974年 |
49年 |
9月8日、大畑港所属のイカ釣り漁船第21福寿丸がサハリン沖の海馬島付近でソ連監視船に捕獲される。
11月7日、大畑港所属のイカ釣り船第31北星丸が北海道の江差沖で消息を絶つ。 |
|
1980年 |
55年 |
7月、大畑前沖のイカが近年になく豊漁。 |
|
1983年 |
58年 |
12月12日、大畑港所属のイカ釣り漁船第10磯丸が佐渡島沖で遭難する。 |
|
1987年 |
62年 |
2月13日、大畑港所属のイカ釣り船第87正一丸がアルゼンチン沖で拿捕される。 |