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 どんな小さな町、村にも其々が生きて来た証として、そこにはちっぽけながら生々とした文化が息づいています。それがどんな些細なことであれ、長く厳しい生業のなかで、その地の生命の営みに溶け込み、ついには風景の一部にまで同化するに至った人々の生き様にこそ、なお生き続けるための知恵があるのです。
  本州北端は下北半島、なお、その北辺に大畑という人口1万人ほどの小さな港町があります。 この町が、およそ陸の孤島、辺境の地と言われるに相応しくないほど「イカの町」として 活力に溢れ、毎日が湯気立つほどに沸き返っていた時代が、今からほんの40年程前の出来事だったとは、当時その真っ只中にあった者でさえあの時代はすでに夢の中。
 町のすべてが沸き立った要因が何によるものか、答えはきわめて明快。この地には人々が生き続ける糧として、海には「イカ」、山には「ひば」という溢れるほどの恵みがあったればこそなのです。「イカ」や「ひば」が海の回廊の要と言えばいささか飛躍し過ぎとは思いますが、少なくとも鳥も通わぬ辺境の地と言われるこの地に、全国の名だたる海人はおろか海路の親玉まで腰を据えた事実、このことは取りも直さずこの地に底知れぬ豊かさがあったことの証さです。80歳を超えたおじいさんが言います。大畑のイカは北海道のにしんのようにはならないヨと。事実、昭和20年代まで津軽海峡を股にかけ、にしん場を往復した者だからこそ重さが違うと思う反面、弱音を吐かない漁師の習性が言葉とは裏腹にイカがにしんのようになったら、やがて海も死ぬヨと。
 ここ大畑というところ、幸か不幸か猫の額ほどの平地が災い(?)し、大型開発の谷間で身を竦ませている間に、ありとあらゆる隙間から新種の風が吹き込み、いうところの大規模開発の埒外にあったとは言え、この訳のわからないうねりに今町の飯のタネである「イカ」「ひば」までも丸呑みされようとしているのです。   さぁ如何に。今ならまだ遅くない。皆で考えましょう。・・・言うは易くという奴で。