(5)
大衆魚と言えば前段で述べたとおりイワシ、アジ、サンマといった、いわゆる青物と称する小型の魚種がその代表格と思いますが、同時に大量、低廉という要素も欠かすことが出来ないと思います。低廉と言えば、当節、イワシの類が果たして大衆魚と言われるに相応しいかどうかということになりますが、誰しも頭を捻るところだと思います。どだい魚屋さんの店先でサイフと相談なんていうのは大衆魚の名に相応しくないし、その名を返上しなさいと言われても文句の言えないところだろうと思います。
またも食い物の話になりますが、四方海に囲まれたこの国であれば、動物性たんぱく源を海に求めたということはごく自然な成り行きで、いかに目まぐるしい世とは言え食生活の根源まで、そう易々と変わるとは思えません。いつの頃か失念しましたが、かの土光翁が自らの食生活に触れるくだりで、毎日メザシの一つでもあればそれで充分、と言ったことをうろ覚えておりますが、日本人の心身を創造してきた源泉の一つがここにある、とも思ったものですが例によって大げさに過ぎるでしょうか。
食い物の話になるとつい魚に拘ってしまいますが、確かに昨今は魚介類が肉類、その他に押され、一頃に比べるとめっきり影が薄くなってきたという感がしないでもありませんが、そうかと言って日本人が消費する魚介類の量が減少しているかというと、決してそうでもありません。確かに日本で生産される水産物は年々減少の一途にありますが、そのマイナス分を補っているのは他でもありません、輸入です。日本人が消費する魚介類の3分の1以上が輸入で賄われていると聞いても、今時は、ハァそうなんですかが関の山で何の関心も呼びませんが、悲しいかな我が年代(50半ば)ともなると、ハテどうしたものかという思いに捕われ、水産大国という言葉も聞くだけ空しく虚ろに響きます。四方海に囲まれていながら何でこうなるのかと忸怩たる思いにも駆られますが、我が年代はどうやら被害妄想的なところがあるようで、一旦思いが講じると大衆魚が大衆魚でなくなることは恐い話だとまで発展してしまいます。仮に、かの国で大異変が起き魚介類(とは限らない)の輸入の糸がプツンと切れたらさてどうなるか・・・。やはり、勝手な思い込みというものでしょう、という後から更に入れこんで、そうなったら我が「イカの町」は古来、自給自足を旨として来た歴史に学び、どんなことが起きようとも食うことに窮することは絶対有り得ないと思いきや、何のこともない、明日から生きる種さえ見当たらない破目に・・・。
そんなことより、寿司のネタでもあれこれ考え、しばし、昔に還り「サケ、マス船団」 とか「地引き網」が華やかりし頃に思いを馳せ、夢の中にどっぷり浸っている方がよっぽど気がきいているとも言えますが、さてどんなもんでしょう。ついでに「自給自足」というかっての世界を覗いてみたいところですが、やはり貧乏性なんですかネ。