老漁師が語る

「記憶を語るー佐藤又四郎」(青森県下北郡大畑町の浜で生きる)72歳
 ―― いいべが?
 ゆんべのぅ、『ひとごどでもなにがねぇがなぁ』ど思って友達どさ行っていろいろこの話こ出したのさ。ひたきゃその人曰くにはのぅ、二枚橋の布海苔はのぉ、むがし、伊勢神宮だがなにが直すづぎのぉ、二枚橋布海苔の材質が良いどごでのぉ、それをのぉ、こっから持ってってぇ、壁さ入れで、ほれ、繋ぎに入れだり…、そういう話も聞いで来たった。
 ―― 大体何年くらい前の話だんだべね?
 オラいま、七十一だして…わいど十四、五あだりに磯のあぃさ参加したごとあんだしてのぉ。ずのがさ、そのほれ、布海苔の栽培するにさ、何年に一回づづさ、二枚橋、釣屋浜でさ、石屋さんを頼んで、大きい石をさ、布海苔がおがりやすいサイズに割ってもらって、その石を背中で、みんな人足で、背負っていぢばんのいいどごさばり…磯をつぐったもんだ。
 だして、そのどぎは二枚橋がらむごうの方は一切それは参加しねえわげだ。まっ、けっきょぐいげば孫次郎間どが…。そいだどごで布海苔の採捕権は二枚橋ど釣屋浜しかねえんですよ。だがら、現在はよぉ、そういうのは乗り越えで仲良ぐってばいいようなもののなぁ。その布海苔を採捕して生活のあれにするづあれが薄ぐなってまってさ。いわゆるイガ釣り漁業にかって、あんまりそういうのさもっていげなぐなったどごで。現在はホレ、大畑の組合員であれば、まずまぁ誰でも採捕してるわげだ。この点だばのぉ、木野部の方さ行ってもよぉ、現在では絶対採られません。木野部も赤川どもみんなそういう二枚橋みなやり方して元磯つぐったど思うんでのぉ。
 ―― その当時そういう格好で磯つぐったのは、二枚橋、釣屋浜、赤川、木野部と。
 そぉそぉそぉそぉ。
 ―― んで、孫次郎間が抜げだと!
 そぉそぉそぉ。
 そいでの、わいども布海苔かっぱらってのぉ、大畑の店屋さこそっと持ってって、お焼ぎど交換して食った記憶はあるの。へば、金払んなくても…うん。そやしてその当時のぉ、けっきょぐ磯も金かけで整備したどもさ、その布海苔を密漁さいねみに、人足でもってまわり番で管理したもんだ。
 ―― 各町内ごどに?
 うん、二枚橋がらずっとまわって来て、釣屋浜まわって。大体一晩に三人ぐらいの割合でな。だして、当時は布海苔どがこういうのさ力入れだほうだべ。番兵するにはホレ、十二月、一月だもんだもの。寒いどごでのぉ。二枚橋のいいどごさ布海苔の番兵小屋ってのぉ、その時期になれば、うん。
 ―― 番兵小屋がでぎだわげ?
 うん。それはずっと続いだんだ。たまたまホレ、何ヶ月がの番兵だどごでさ、部落がらみんな“ながら”持ってったり、その他、屋根どがそういのは筵だんだいぇの。その中で暖取りながら。十二月、一月だんだら夜間に汐すべ。そいだどごでホレ、番兵したのさ。盗らいねぇみに。いまごさ、あどかだ無ぐなってるたってのぉ。
 ―― 孫次郎間ど二枚橋の間あだり?
 間って、まんだ磯づぎのほぅだんだぇ。
 ―― この辺にあるっつぅごとは孫次郎間地区を警戒しながら。
 そぉそ。けっきょぐ向ごうから来るのを…。そいでも番兵さ行げば食うだげは採って来んのさ。
 ―― 石屋頼んでっていうごとだけれども、その石はどの辺りがら持って来たわげですかね。
 いや、現場にあった石さ。あった石の大きいのを砕いで、そごから背中で移動して繁殖のいぢばんのいいどごさ入れだ、と。
 ―― 山がら持って来たとかっていうわげではない?
 そういうのはねえな。…そやしてつぐったもんだ。
 ―― 磯つぐるどぎは二枚橋、釣屋浜、赤川、木野部の人だぢが一緒にやったもんだんですか?それともそれぞれが部落ごどに?
 うん、そぉそぉそぉ。
 ―― 声掛げ合ってやったっつぅわげでもない?
 いや、上に立づ者どはこういうものやりましょづぅのでやったべったって、日にぢは一般の人はわがんねぇわげな。ま、けっきょぐ、「木野部でもやったしてうぇのぇでもやるが」。木野部ではよ、「二枚橋どでもやったして、わどもこの度やるが」っていう、そういうあれで…。
 ―― 海苔、伊勢神宮さ持って行ぐったべ?板海苔だべ?乾かして?
 いや、おらどだば布海苔そのものをのぉ、乾燥して洗って、そのもので出荷したった。
 ―― どういうかだちにしたがなぁど思って。
 “俵締め”ってばいいんだが?
 ―― ただ乾がして?
 そぉそぉそぉそぉ…。いまの蛇浦どやってる手ど同じだ、うん。筵さ乾燥、ずらっと…。もちろん、ゴミ取っての。そうしてやったもんだ。結構それなりに金になぁどごで、なんとみごどだったんだ。布海苔採りってばぁ。そいだがらどごのいぇでものぉ、布海苔籠づぅ特別だ籠あるわげ。づぅのは、布海苔そのものが軽いもんだどごで。軽いどごで、よげぇ入れねばよぉ、のぉ。わんつかづづ採ったのむったり運搬してれば採る時間が無ぐなぁどごで。こったらおっきい籠だんだ。年寄りどがホレ、山がらアゲビ(アケビ)つるぁ、で全部つぐるんだ。おっきのがらなにがら、みんなつぐったもんだんだ。
 ―― どの石でもいいわげですか?砕ぐ石は。
 まんずまぁ、ほどんとは付ぐんだ。
 ―― 付がねえ石っつぅのもあるわげだ?
 あまりねえなぁ。ほどんと付ぐんだに。特別あんぃたあだらしぐ割ったあれに対してよげぇありゃ付ぐんだのぉ。タネっこ付ぎやすぅもんだんだがのぉ。
 ―― 次の年がら付ぐが?
 付ぐ。そういうのおぼえでる年寄りどがこどしやったら来年付ぐみに、みんなホレ、のぉ。そういうのを念頭に置いでつぐってるのさ、のぉ。いまだらあいだべさ、洗剤とがそういうので付がねぇど思る。そいでも割った石さ今現在でも結構付いでるどぉ。
 ―― 戦後だいぇの?
 戦後だ。
 ―― 佐藤さんが十四、五才のあだりに一斉にやったっていう格好ですかね。
 いや、前からもやってる。毎年はやんなくても、何年がおぎに…。やっぱり、むがしの人づのぁ知恵でもってやってるんだがわがんねぇども、学校さ上がった人よりもかぐじつにやってるんだもんのぉ。
 ―― 部落の長老だぢが音頭とって。
 そぉそぉ。そぉして二人して石持ぢ上げで、一人が背中さ入れで。歩ぐ距離もなんぼもねぇしてのぉ。
 ―― 二枚橋、釣屋浜の人だぢが共同してやったっちゅうごとですかね?
 そぉんです。
 ―― 赤川、木野部の人だぢはこっちの方で共同してやったと。
 そぉそぉ。今でも木野部さ行って布海苔採ればうんっと怒らいる。地元の年寄りどが部落の実費でもってやったんだして。
 ―― 部落の人だぢが自主的にやったわげだよね。
 そぉそぉ。やっぱり、それなりの収入あったどごでのぉ。うん。
 ―― 石屋さんはこごらの人だんですか?
 こごらに石屋づぅのは聞いだごとねぇんだいぇのぉ。
 ―― 鏨持って来てやんだべ。
 そぉそぉ。そんぃた石屋ど使るハンマーが違るんだねぃ。細い柄付けでのぉ。無闇に鏨でやったしてって、ぜってぇ割れねんだど。やっぱり、石の目づぅのがあるんだべさのぉ。コンクリにものぉ、おがしいもんだいぇのぉ。まさがコンクリには目ぇねぇど思ってるべさ。あれ、おっきたまぢがいだ。うん。コンクリはコンクリでちゃんと目があるのだど。んぇ。コンクリづぅのはよごがら打づもんでねぇ、上っかがら打づもんだべさ、のぉ。そいだどごで、本職どの壊しがだぁのぉ、わいどたなげねみにがっぱがぱみんな壊すんだって。
 ―― このあだりの方々が磯つぐったのは、布海苔を考えでっていう。
 そぉそぉそぉ。布海苔専用に考えで。けっきょぐ、そのあだりぁ出稼ぎづぅのぁあんまり。だがら、岩海苔でもさ、いづ取ってもいいづごとねぇんだ。
 ―― 取り尽ぐさねぇように、完全に管理したわげだいぇね。
 そぉそぉ。
 ―― 磯、浜の漁が主体だんだろうけれども、色々だの採ったんだべねぇ。
 まぁ、多少のフジギ(ヒジキ)とがそういうものはのぉ。フジギとがああいうのぁ一年に一回採れば、そう簡単におがんねぇもんだどごで…。
 ―― この辺、牡蠣なんかは採れだんですか?
 採れねぇ採れねぇ。いや、食うだげは採れぇったって商売になるだげは採れねぇ。なぁに、いまへば、こういったどごさ来て採んねぇたって、外港の岸壁さ行げばずっぱりなってんだして。そごさ行って採れば簡単だもんだものぉ。
 ―― 味は違うんでしょ。
 …やっぱり違うな。やっぱり磯物の海藻類はどっちがってぇば、幾分その海域さ真水ど混合するんたどごはどうしてもおがりいいのぉ。
 ―― 上の方、相当木ぃ切らいだんだべなぁ。
 いやぁ、なにせ営林署ど切ぃんだもぉのぉ。(笑)
 ―― 磯場作ったの今から五十年くらい前?
 五十年あまり前だな。やっぱりそれだげの効果あったづぅごとだんだべさ、のぉ。
 ―― なんぼが生活の足しになったんだがのぉ。
 うん。そぉだ。小女子もむがしからやったども、なんせ海区が狭められでしまってのぉ。その当時は二枚橋ど釣屋浜しか小女子採るの無がったのさ。そいだどごでホレ、今の岩谷まで動力船でもって引っ張ってってのぉ、向ごうで漁してその中間に採ったものを浜さ置いでで、まだ行って夕方に船で引っ張って来るのさ。
 ―― 明がりつけで走り回ってるやづでしょぉ?
 うん、ライトつけでのぉ。あのライトは小女子の漁に対してはなんも必要ねぇのさ。とごろが網だ色々だ物があるためにホラ、そのライトでもって照らして避げで歩がねぇわげだ。それは絶対、ねぇば漁になんねぇんだ。
 ―― ほとんど沿岸さ出ででも、家のどごろに畑、みんな作ってぁったぇね?
 そぉそぉそぉ。
 ―― 自分のどごろで食う分のやづはね?
 そぉそぉ。
 ―― こごらでいげば別個に畑っつのはあるんですか?
 そごがな、終戦当時のぉ、営林署の官山だったのさ。それを営林署がら払い下げで、そぉしてジャガイモでもなんでも蒔いだのさ。
 いまの小学校、二枚橋の。あそこのぉ、全部農地だったんだ。それを砂鉄が来て…。掘ってしまったのさ。そいでホレ、残土、泥んたののあれを埋めであれしたどごでさ。
 ―― 畑やってぁどぎに遺跡がなんがは出で来たんですか?
 あんまりこごだば出ねぇなぁ。
 いま、なんもそっちの方も一件も作ってねぇなぁ。なんもかものぉ、カモシカにかってやらいでやらいでのぉ。どぉもなんねぇんだって。
 ―― カモシカが出始めだっていうのはいづごろですか?営林署が入り始めでから?
 そぉそぉそぉそぉ。
 ―― むがし、畑作ってでもこっちゃ来ねぇもんのぉ。
 見るごと無がったものぉ。だいたいカモシカ、浜まで下がって歩いてんだぁものぉ。だして、上っかさ成るもんだば、まずあぃだもんな。実っこ食ぁねんだ。葉っぱみな食ってまんだって。キミ蒔ぐば蒔いだって食ってまぁべぇ。網だっきゃなぁも効果ねぇ。だしていまこごらでほどんと蒔がねぇんだ。
 ―― この浜さも砂鉄入ったんでしょ?
 こごらみんな掘ったんでぇ。うん。
 ―― 掘る前ど掘った後っていうのは極端に違うっていうのはありますか?磯の漁は?
 ねぇな。関係ねぇ、関係ねぇ。
 ―― この辺は粘土採れるどごはあるんですか?
 んや。あまりねぇなぁ。
 ―― 変わった寄りものが浜さ上がったつぅごとは?
 何回も実際見でるなぁ。鯨ではねぇたってのぉ。ま、ちゃっけぇ鯨さ匹敵するんた、ウバザメってるがのぅ。大ものよぉ。うん。ウバザメ網さ入ってまってのぅ、ほんとにおっかねぇめに遭った。
 ―― こっちの方さアザラシ来たどがっていうのは?
 ぃや、あるある。“トド岩”ずのがあるんだけどのぉ。そういうのさ上がったのむがしの人は見でるがら“トド岩”っていうんだぇのぉ。わども鮫釣りしてぁずぎのぉ、尻屋のさぎかわして沖に“安宅(【あたか】石川県小松市の西部、日本海沿岸の一地区。江戸時代は北前船の寄港地。)の島”ってのぉ。島あんだに。そどにいだ人、「おい、トドいだ!」ずんだもんな。出で見だわげさ。ヤロぁ、なんも、でんがり寝でぁのさ。
 ―― アザラシは今でもいるの?
 いるいる。マス釣りさ行ってあいに見っけらいば始末わりぃ。うん。ついだマスみんな食ってまんのぉ。いづの間にが付いできてぇもんだんだが、ちゃんとケッツぼってくんだで。船おべでまってんだものなぁ。
 ―― ウバザメってデカイやづだよね。
 うん。デカイデカイ、なんとぉ!
 ―― こっちの浜、昔ど比べれば狭ぐなったとがっていうごとはあるんですか?
 あんまり変わんねぇなぁ。
 ―― 釣屋浜、二枚橋っていうのは共同して色々な作業したようだけれども、赤川、木野部の人だぢどの関係は?
 いやぁ、交流はあまり無がったのさ。ずぅのはよ、あいどはあいどで独自だやりがだしてるわげだ。わいどがら言わせれば、狡いずぅ点もあるわげよな。そいでも今だば木野部どは、海藻類どだば採る日にぢを決めでのぉ。だして昆布でもなんでも寄っても、部落で不幸あれば一切手ぇ掛げらへねぇの。
 ―― ワガメがらなにがらずのぁこの浜にまだいっぱいあるっつうごとだね?
 あぃぃぇ、どぉもなんねぇくれぇあるんだ。うん。とごろがよぉ、むがしの年寄りど違ってよなぁ、管理ずのがパッとしねぇわげ。採り放題だわげよのぉ。来年の為ずぅごとはねぇわげよぉ。
 ―― 密漁、今どんだ?
 あまり密漁はねぇなぁ。密漁ずのぁおがしいもんで、じもどの密漁がみんな採ってまんだぁ。いづでも行ぐにいいんだものぉ。監視もしてらいねべしよなぁ。密漁に対しては組合どはのぉ、逮捕する権限がねぇわげよぉ。ちゃんとじもどの人はおべでるどごで。ほががら来てはなんもそぉ盗んねぇのだ。うん。
 ―― 釣屋浜は磯舟もって沿岸さ出でる人だぢはいっぱいいますか?
 いやぁ、いるで。船体はおっきぐなってるったって…。だしてこのイガもよぉ、人間が探そうどするってばいいんだがのぉ。あまりにも設備、のぉ、しすぎでまってさ。だってむがしは瓦斯ランプだわげよ。前ど後ろさ二つ付けでやったもんだ。あいどがいぢばん適した明るみずのがあるわげよ。こんど光量おっきぐして、いわゆる設備投資にかってくわいでまるのさ。七月末、八月入ればサンマどぁ、大量に来たもんだに。ただし、油ねぇでまぐねぇったって。
 ―― こっちの方にイワシのやぐら建でだっていうのはありましたか?
 まんまり記憶にねぇなぁ。野中さんの亡ぐなったじっちゃんがまなぐ良くてプロだんだに。ほんとにプロだった。
 ―― なんが特別な目印あって、この時期になってこれが出ればこの漁が始まるっていう…。
 その漁によって目印ずことはねぇども、特別にあるどすれば、イガ釣りは夜のそれぞれの星によって違るんだ。簡単に言えば、星っこ三つ並んで…。三光の後星とがのぉ…。まんずそういうのはのぉ、80%以上は効果あるんだぃのぉ。空ど海の魚ずのはかなり関係がふけぇんだのぉ。青星とがのぉ…。光の大きさによって漁は確実に違うんだ。その時間帯になれば水温でも一時的にバッと変わるんでねぇがなど思うんだぇのぉ。だして、むがしの機械もねぇどぎは、経験してあだまのいい人どはそういう時間帯になれば移動してでもバッと船止めでしまうの。うん。無闇にあがるいしてってのぉ、イガは集まるもんでねぇ。同じ電機のつけがだでも、もどはまだ高がったの。いまは低いんだ。ずのが、けっきょぐ船体の影だのぉ。
 ―― それぞれの漁師さんによって目印が違ってくるわげだね?
 こごらだばいまは魚探どあるして、ヤマたでなくてもその通り行げばあいだったって…。もどは恐山、あれが主だったんだ。みんな。恐山が二枚橋の学校さかがるとが、正津川の学校さかがったとが…。
 ―― ご先祖さんだぢ、どっからが来た人だぢだべが?佐藤さんのどごはずっとこごですか?
 うん、こごだ。
 ―― 釣屋浜の神社は、勧請したのはどご…?
 塩竃神社。仙台の。伊達伊達ってへんだぇのぉ。釣屋浜の伊達…。
 ―― 佐藤さんのどごの家紋っていうのは何ですか?
 知ぁねぇ、なんだもんだんだが…。
 うぢにもよぉ、信仰してるお堂あるのさ。赤岩大明神ってのぉ。いま塩竃神社のながにいるほんとの御神体の次に座ってる御神体はのぉ、こごの海岸がら出だ石だわげ。次々ってあんまり手ぇ掛げらいねぇんだもんな。いまから二十年近ぐ前に神社解体して新築したべ。そのどぎ御神体は家の床の間さ祭って、朝間になれば拝んで…。わいさぁ、大手振って、はぁ。神様いるもんだもの。おなごども喋れねっきゃ。(笑)
 で、それがのぉ、船が出入りするに邪魔だどごで人足で石寄へるんだど。とごろが、三日ってばその石だげもどさ戻って来んだど。何回やっても駄目だんだど。そいで物識りがら聞いだっきゃのぉ、「それはそれなりの価のある石で粗末にするべぎでねぇ」そう言わいで、神社の奥さ祭ってんだぇのぉ。
 で、神社解体するもんだものぉ。背中さ背負るったってズルズルずぅもんだもんなぁ。落どすがど思ってよぉ。そやって家さ持って来てのぉ。床の間さ飾って…。
 いま、塩竃神社の境内にお堂三つあるわげ。ひとつは赤岩大明神、部落のお稲荷様、佐藤としはるさんどごのお稲荷さん…。むがしのお堂どぁ腐ってまってんもんだもの。どぉもなんねぇで全部解体して、あんぃたものずのぁ金かがぁもんだもの。自分でホレッ…。三ヶ月ぐれぇ掛がったんだぃのぉ。沖さ行ぐ合間。道具なんもねぇたって。ほぉして、なんとが神様遷すまでに作って…。
 …あいだら、車で来たんだが? へたらお堂見で、赤岩大明神の石見へるが?

聞き手は’94フォーラムのメンバーです。日本語訳が必要だべが?
昔から自然の磯も人の手が加えられて保護していた。(感激)

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