下北って何?

 「あなたにとって下北、大畑とは何ですか」
最近、大畑からの訪問者に問われた言葉だ。とっさに口を突いて出たのは、
 「何でしょう。でも強い印象があります」
でも本当は過去の問題だけではない。もっと言葉に尽くせない意味がある。それが何なのか少し考えてみた。
 横浜生まれの私は1992年4月、26歳のときに毎日新聞社に入社。迫り来る地球環境危機の時代に何か打つ手はあるのか。そう考えて意を決した遅い就職だった。そして最初の赴任地が第1希望の青森支局。それから2年間、青森支局で新聞記者としてのトレーニングを積んで、初めて転任したのが下北半島のむつ通信部だった。
 幸か不幸か、この地に4年住むことになる。とにかく毎日、取材に歩いた。大間、東通の原発計画、六ケ所村の核燃料サイクル基地、原子力船「むつ」の取材を通じて、やっかいものがなぜ誘致されてくるのかを知った。誰もが都会並みの豊かさ、つまりお金で買える豊かさを享受したい。それもわかる、でもそのために失うものはないのか。それに核廃棄物の処理で壁にぶつかった原子力政策はもはや破たんしている。記事を書くことで必死に訴え続けた。
 下北半島という土地についても考えた。冬は雪で閉ざされるも同然の陸の孤島。高校を終えれば皆、就職先を求めて出ていってしまう。結局、見捨てられる運命にあるのかとも感じた。
 しかし、こうした僻地でしか生まれないものもある。そんな代表が「大畑原則」だった。大畑原則は、’94フォーラムin大畑(私もその1人だが)のみんなの切望と、私の情熱がひとつになって生まれたものだと思う。
 地球環境危機は、ヒト自らがその滅亡へ向ってまっしぐらに進むというシナリオだ。その最悪のシナリオは何によって改変の方向へ向かうのか。私は大畑原則でそれを第一に考え、フォーラムの人々は古来からある人間の習慣や知恵を考えた。豊かな森と川と海を背景とし、超現代とじいちゃん、ばあちゃんの知恵が共存する街。純粋にヒトのための街だが、恐怖の森の存在でその横暴さが自然に規制される。
 むつ通信部で過ごした98年3月までの4年間で、私が学んだことは、新聞記者のトレーニングの域を越え、人としてどう生きるべきか、の根底に根差したものだった。
 『どこに暮らしていても「幻想の故郷」の住人』
この言葉は搾取の街・東京で暮らす私の励みでもある。

毎日新聞社 中村 牧生

modoru