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(6月から続く) 友人が「下北はノマド(流れ者、遊牧民、定住しない人の意味)の集まるところ」と、キザに言っていた。確かに歴史的には各地から仕事を求めてやってきてやがてどこかへ移住して行く。江戸時代は木材の関係でソマフや商人がきたが留山(木材の伐採禁止)になると、北海道に移動していった。また、ニシン場など漁業の出稼ぎや移住が有り、また、大正時代から昭和にはイカ釣り漁業で日本海各地から移住が有り、南部地方(青森県南や岩手県)からも農業で食えないので移住してきた。イカ釣り魚魚が廃れてくると人は他に仕事を求めて出稼ぎや移住していく。最近では六ヶ所村の原発サイクル基地の建設や東通村の原発建設のため技術者が大量に来てまた仕事が少なくなると帰る。それが繰り返されている。 江戸時代はこの辺りは南部藩の島流しの刑の場所でもあった。この罪ではこの場でどんな生活をしてもよかったがここから出ることは許されなかった。妻帯も出来たし自由に農漁業をして生活した。佐渡島の金山で死ぬまで出られない仕事をしたのはこの罪の人ではなく江戸等で無宿者と言われる住所不定者が江戸の治安を害したので彼等を金山に送り働かせた。佐渡島でも島流しの人は自由に生活した。無理して帰ろうと思わなければパラダイスだったかもしれない。前にも書いているがここを訪ねてきた「菅江真澄」(江戸時代1800年頃)は北東北三県を漫遊して生まれ故郷の三河(現在の豊橋辺り)へ帰らなかった。それは彼が国学者であったがこの思想では、「理想郷は太古の昔の日本」である。この辺りの生活や住む人の人柄は本当によい。太古のよさがあったかも知れない。旅の人に心から接待をする。昨日までの友人のように親しくする。それが「菅江真澄」には死ぬまで戻らないことにしたのではと思う。 現在、ここに長期滞在する人にこの地の人は親切に応対する。私はそういう気が薄いと先月書いたが、それはその人達への不労所得者へのネタミかもしれない。私も最初から馴染めないがやがては心を開く。よく話すと疑問点の答えが出てくる。たとえば、夜暗くなると寝ることは普通の人にはあまりにも夜がもったいない気がするがその人たちには慣れるとラジオだけの世界で日が暮れると寝る。夜が明けると起きることは普通になるという。普通の人は夜に起きていることは資源的にも無駄なのかもしれない。また、ホームレスみたいで嫌だという気があったが、彼等はそれと紙一重である。関東で無料で河原に駐車できるところに夜になると車が集まりそこで寝る人が多いと滞在者から聞いた。アパートを借りると高いから、そこで家賃を切り詰めて生活している。ホームレスも来るし同じだと言う。昼は働いている人もいるし仕事がない人もいるようだ。ホームレスをやればやめられないと言う話も聞いているがそこに自由があるからかもしれない。また、夜、日が暮れたら寝るのが惜しいなんて考えているうちはこの世界に入れないのかも知れない。 うちのレストハウスの従業員は彼等(旅人)に本当に親切すぎる。例を挙げると、 恐山からタクシーでここに来た三人の若い人がここからバスがあると思ったがもうないまた町までタクシーしかないと言う話に「じゃ帰りまで居れば送るよ。それまで、この辺りを散策しなさい。町まで丁度よく来た友人に頼んで町に送ってもらっている。 長期滞在の人に買い物してやったり、自分達のお菓子をくれたり、懇切丁寧に接する。彼等もここの手伝いをしたりする。 私等はそこまでなぜするの??と、思う。 でも、彼等は今年もこの従業員に会いたくてここに寄る。そして仲間の情報や自分近況を話す。ここは観光地と言うより人と人のコミュニケーションの場なのかも知れない。このことを友人が「人と人のふれあい、人間関係よ!」と言っていたがその通りかも知れない。人間が生きることは人とのふれあいがあって豊かになるのかも知れない。 |