
| 9/23
今日は彼岸である。皆さんお墓参りに行ったと思う。春と秋にあるこの「彼岸」とは仏教用語でインド語の「パーラミター」(波羅蜜多)の漢訳、「到彼岸」の略したものです。ちょうどこの辺り(春秋の彼岸)に昼と夜の時間が同じくなり真東から太陽が登り真西に沈む。その西方に浄土があると言われている。・・・と、お寺の冊子に書いてある。 しかし、日が短くなりこの辺りでは午後六時になると真っ暗になる。日の経つのが早い。もう秋である。朝晩は寒い。 話が変わり、六月の「ぐだめぎ」から続く野営の人達(長期滞在者)の事である。私はなぜかあの人たちに馴染めないと縷々説明をしたが、最近それはあの「アリとキリギリス」の話にあるのではと思えるようになってきた。幼少の頃、アリの方が絶対正しいと私は信じて今まで生きて来た。それが人生をのんびりエンジョイしている人に馴染めなかったのではと思う。 今までアリが正しいと信じて生きていたのにその生き方を変えないと理解出来なかったからだと思えた。若者だったら勿論であるが、定年後、そのようにノマドしている人もそうである。それが嫌なのは私の性格なのかもしれない。もっと自分なら研究に打ち込むとか、有意義に生きたいのである。それは幼児体験が体にしみ込んでいるからかもしれない。「アリとキリギリス」の結末をよく知っているからキリギリスになれない。人間形成の中であるひとが「胎児に童話を母親が聞かせると子供はそれを覚えている」といった。あながちウソではないかもしれない。胎児に音楽を聴かせる話も聞いた事がある。また小さい頃、母親の言った事は体のどこかで覚えている。話は違うが木や花も音楽を聴くという。それと逆に自分の好きな父と母が罵りあっている事は子供には耐えられない。子供が精神的に閉鎖的になる事もある。そんなに罵るなら別れればいいのに・・・と、子供乍らに思う。 昨今の子供の事件を見るとその親は胎児の時、子供に何を話していたのだろう。幼児体験ではどう対処していたのだろう。と、考える。 中学の頃、少し悪くなっても立ち直る人と普通に育ち猟奇的な犯罪を犯す人の差は何処にあるのだろう。 親がしっかり生きていると子供はすくすく育つと私は信じている。 |