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今年の台風はなに? 毎週じゃないですか? 本当にいやになる! 沖縄や台風の進路の方にはお見舞い申し上げます。 しかし、時の経つのも早い。もう、10月下旬・・・・・1年間で何もしてないような気がする。年を取るだけ・・・どう生きようか。どう年とるか考えないと・・・・えっ、おそい!そうかも知れない。 相変わらず、歴史の月2回の勉強会に行っている。先導役の元中学の女子先生がこの会を引っ張るので少しは楽になる。 でも、その先生も今取り組んでいる「江戸時代の郷土の人の年表を読み下し」の中でどうしても辞典や関係書物に出てこない部分がある。 それを、インターネットで検索したらポイと出てくることがある。その時は本当に痛快な思いになる。 たとえば、「武佐枡」これは滋賀県の琵琶湖の近くで江戸時代以前に使われていた。豊臣秀次(秀吉の姉の子)がこの地方を治めていた頃、楽市楽座といって商人を厚遇して、栄えさせた。その時の米などを計る枡なのである。いろいろ、インターネットで調べるとこの頃までの枡はとりあえず秀吉が統一したと教科書に出てくるが各地バラバラというよりも、てんでバラバラの状態であった。江戸時代になり京枡と言うサイズで統一された。各地では農民から米を納めさせる時は大きい枡で出す時は小さい枡でというのが普通のことであった。しかし、我々が調べている年表には「武佐量」とあったので、枡に辿り着くまで時間がかかった。 「与内銭」これは函館のHPに出てくる。我々の調べている年表には「与内」ダケなのでそれまで辿り着かないが、「与内銭」では最初に出てくる。これは漁場の税金のほかに積立金を上乗せして徴収してこの金で備蓄米などを買っておいた。そのお金をいうが、そのことが我々の住む下北地方でも慣習としてあったようだ。 それから、奥羽街道を調べると青森県に入ってから七戸から野辺地に行く道が二本あり今の国道4号線が新しい近道で、東北町を通る道が古いのだ。 このように、インターネットで歴史の事典でもなかなか探せないことがすんなり出てくるから面白い。 世の中、痛快なことが少なくなりつつあるから面白いことを探さなくては・・・・中日落合やヤンキース松井やイチローはもちろんいいけどね! |