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初秋です。

今年の夏は暑すぎた!ここ下北でも連日30度を超えていた。あの薬研でも・・・・・・・。

今年の夏の忙しさも落ち着きました。ねぶた祭りは土曜、日曜が入らないのでいまいち盛り上がらなかった。

さて、小学生の高学年でもわかるように江戸時代のことを伝えようと下記のような文章を書きました。読んでみてください。

江戸時代の漂流
ここ大畑の江戸時代の人、村林源助が書いた年表、「原始謾筆風土年表」(1800年頃)には漂流についての記述が沢山出てきます。江戸時代末期から昭和まで生きていた石田研堂が集めた漂流の書物が「江戸漂流記総集」に出てきますがそれにないものもあります。
この大畑にいて漂流について村林源助が沢山知っていたことの驚きます。
まず、最初に江戸時代のことについて説明します。
江戸時代は鎖国をしていて、国外へ自由に行き来できませんでした。
それは「島原の乱」といって、キリシタン(キリスト教信者)が暴動を起こしてから、キリスト教を禁じ、さらにそれが国外から入らないようにしたのです。
だから、貿易も長崎だけに限られ、相手国も限られました。
これは今の北朝鮮に似ています。北朝鮮では、一般の人は海外の情報をあまり知ることができません。日本の封建時代(江戸時代)にそっくりです。しかし、それでも情報を収集して海外逃亡を試みています。
また、江戸時代は国内の交通手段はほとんど船でやっていました。しかし、幕府は軍艦になるような大きな船や船の上を板で被うのを禁じていました。村林源助の生きていたころは千石船なども作られましたが江戸時代はじめは五百石ぐらいに制限されていました。さらに江戸時代はエンジンがついていない帆船でした。従って、航路も沿岸を沿うように取りました。沖の大きな海流(親潮、黒潮)に入ると操作ができなくなるのでそれを避けて航海しました。しかし、今のように気象情報、特に台風情報が即座に分かる時代と違い、船頭の勘で判断するしかなかったのです。それが間違えば、暴風に合い、操作ができない状態になり漂流したのでした。江戸時代初めは日本海のみの航海でしたが、太平洋側の航路も河村瑞賢という人が開拓して特に仙台米が直接江戸に入るようになりました。(東廻り航路という)
「江戸漂流記総集」をみると、この東廻り航路が多く漂流船を出しています。遠くはアメリカ大陸まで漂着した例もあります(ジョン万次郎の話)、ハワイ付近まできて赤道付近になると逆に流され東南アジアに漂着した例もあります。また、八丈島の先の無人島(鳥島)へ流された例もあります。北に流されるとロシアに漂着します。ロシアは日本と交易をしたかったので、漂着者を定住させ日本語学校の先生にしたりしました。佐井出身の人がこの先生になり日露辞典を作りましたが面白いことに下北弁が取り入れられていていました。また、下北の人で種痘を覚えてきて函館で日本人初めての種痘の接種を行った人もいます。しかし、中国や東南アジアに漂着した人の大部分は荷物は全部取られ奴隷になり人身売買されたりしました。そこで運良く上陸しても、先々を案じて気が弱くなり亡くなる人もいました。また漂流して、無人島に上陸した人にも間もなく気持ちが弱くなり亡くなる人もいました。運良く帰れた人は東南アジアや中国の方面の時は長崎奉行に、朝鮮の方面の時は対馬藩に、ロシアの方面の時は松前藩に取り調べられ、さらにふる里の藩で取り調べられました。それはキリシタンでないか、密貿易をしていないかなどです。特に幕府や藩の米を積んでいる時は厳しく調べられました。村林源助や「江戸漂流記総集」に出てくる漂流記はその取り調べ調書の写しが下級武士によって世の中に出たモノです。その当事者はそのことを口外することもまた船に乗ることもふる里から出ることも許されませんでした。そのことは「原始謾筆風土年表」に大畑の人のことについて次のように書いています。

宝暦元年(1751年)
「此の頃、福建(中国)へ漂流(など)数艘の中、湊文治も福建に漂着、湊佐兵衛は呂宋(るそん)へ漂着、帰国の後、一人扶持、他出禁錮(一人扶持をもらったほかは自由に出ることを禁じられた)」
と、あります。

前に述べたように帰れた人は幸運な人たちです。彼等は暴風に合って強い海流に流されてしまうのですが暴風に合った時に海の神にお祈りして髪の毛を切り、脇差しを捨ててしまうのです。それでも操舵や帆柱を失ったりして漂流します。その後、漂着しても脇差しもなく無抵抗で相手の言うなりになるしかなかったのです。それで運良く漂着しても将来を悔やんで気持ちが弱り亡くなる人も多いことは述べましたが、最悪の状態でも最後まで希望を持って生きてきた人が帰れたと書いています。

漂流記はどんな立場になろうとも希望を捨てずにがんばることを私達に教えています。
                
         村林源助の「原始謾筆風土年表」の現代語訳に取り組む会 担当 松井