rakuzan 
ぐだめぎ


いっつもいっつも
いい顔バシしてれば、つかれるして
すぎだごど
しゃべらせろじゃ
などのはなすもききてけどな
皆さんの話も聞かせてよ

9がつのぐだめぎ

9/29

 オリンピックの観戦で最近はテレビ漬けだ。

 「やわらちゃん」「女子マラソン」と、惜しかったサッカーと興奮したが、一番印象に残ったのはアボリジンの「フリーマン」である。実は、私は「阿保リジン」だったんです。あっ、韃靼人だった!(どうしよう、段々あとにひけなくなってきた)もう、合ぬ。

9/28

 先週はむつ市と姉妹都市の会津若松市へ行ってきた。

 幕末からの御縁である。
 戊辰戦争で破れて会津藩は青森県の下北郡と上北郡に移封された。
会津の秋祭りに合わせて駅前のスーパーで協賛の物産展を開催されたのに参加した。

 お祭りの初日は、夜、町内会の子供会による提灯行列。
 2日目は、歴代藩主の行列、これは、著名人も参加して藩主役も松平家の末裔の 人などが馬にのって行進する。
 3日目は、各小学校5,6年生による鼓笛隊と、白虎隊の行進。

 でも、会津の人には悪いが、どうも、この地の人たちは未だに戊辰戦争を引きずっているように思えてならない。幼稚園や小学生が白虎隊の格好で踊りを踊っている様は、余りにも健気で痛々しいくらいだ。かたや、東京の国立市のように国旗掲揚に校長を土下座させたのと、正反対だ。会津の若者は他の地の人とファッションは同じだがどこかに古典的なものを持ち合わせていると思える。町の人の気質も、昨年買ったものを又求める風潮がある。御婦人の買い方も堅実である。保守的だが、我々が失いかけている大事なものを、残している。

 17才の犯罪がクローズアップされているが、現代の子供は、我々のころと1つも変わっていない。世の中が忙しく変わっている。大人もましてや子供もついてはゆけないのだ。時の流れをもう少し緩やかにしないと、日本はだめになる。

9/27
10/25ジャズコンサートをやります。
チケットあります。

9/18

 放出 倫と云う人が居たが
 亡くなられたあとに本が周りの人によって出版された。
その中に露天風呂の裸の写真もアル。小生も同じことをやることになった。某国営放送の「オーイ、日本、青森県判」10/15、BS2で放映。町の自慢をするわけだ。なぜ、選ばれたか?3択

1.かおがよいから
2,からだがよいから
3,なにがよいから

9/10

新聞に投稿しました。

「ねぶた囃子に思う」

 先日の標記の投稿者の「
出せ出せ出せ」が「ラセ、ラ
セ、ラセ」に、なった話が、
テレビの説より正しいと思い
ました。
 他に私の知っていることを
述べると、
 江戸時代、菅江真澄が紀行
文に寛政5年7月6日、大畑
町の「ねぶた祭」をみた話があ
る。「子供達が灯ろうの上に
ねぶた祭と筆太に書き、ねぶ
たもながれよ、豆の葉も留ま
れ、イモがらがら、と、はや
しながら行く。秋田の国では
ねぶりながしと、いうが、こ
こではねぶた流しと云ってい
る」と、記載されている。
 北東北の夏祭りは、「カン
トウ」「ねぶた」「ねぷた」
「立ちねぶた」「七夕」「花
がさ踊り」「黒石よされ」な
ど、形は各地変わっていって
も、その起原は「七夕祭り」
ではないだろうか。
 しかし、江戸時代のはやし
と違い、昭和30年代の大畑
は、「だせ、だせ、だせよ、
ださねば、かっちゃくぞ!」
と、はやしたてていた。現在
は、残念ながら、青森市や弘
前市の真似である。
 投稿者の記述に昭和10年
頃「ローソク1本、ローソク
1本」と、云って廻ったと、
あったが、現在でも北海道の
湯の川で子供達が「ローソク
1本ちょうだいな」といって
各家を廻り、お菓子を紙に包
んだものをもらっていた。「
だせ、だせ、だせよ、ださね
ば、かっちゃくぞ」も、北海
道にある。県内の昔のはやし
が北海道に残っていることは
、おもしろいと思う。時の流
れの早い遅いのためかも知れ
ないが知れないが早いからよ
い訳でもない。むしろ、逆の
時もある。昭和30年代に戻
したいも気運もある。すべて
を!   (大畑町、楽山)


9/4のそば畑です。

9/4

’94フォーラムのメンバーが農地を借りて、そばを植えた。その白い花が咲いている。それに関わる心構えは「楽農」である。我々が食べられるか、カモシカに食べられるか、そのカモシカを食べられるか?戦いはこれからだ!ロケーションはすばらしい!大畑川の蛇行していたのをショートカットして出来た沼がすぐそばにあり、見たことのない鳥も飛んでくる。その、鳥に食べられるか、その鳥を食べれるか。獣にも負けず、鳥にも負けず、虫にも負けない無農薬のそばははたして誰が食べれるか?

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